最強への道(スピリチュアル編)

    


最強を目指し続ける私は、柔道部時代の経験から肉体の鍛錬には限界があると常々思っている。 そこで、精神世界への没入により別のアプローチから最強を目指すことを試みてみた。 今回はイスラーム世界のスーフィズムについてである。 参考文献としては、赤堀雅幸編「民衆のイスラーム スーフィー・聖者・精霊の世界」を利用することにした。イスラーム教が民衆にいかにして受容されているかということを知る機会は決して多いとは言えず私自身イスラム世界におけるスピリチュアリズムに興味を持ったためである。筆者は序章「民衆のイスラームを理解するために」にて良き言葉を意味するカリマ・タイイバをムスリムであるための基本的な信念として紹介した上で、この本ではイスラームの教義を突き詰めていくのではなく、時代と地域により多用である「民衆のイスラーム」、つまり民衆におけるイスラームの受容のされ方を取り上げていくと述べていた。著者は民衆のイスラームを知ることは総合的でバランスのとれたイスラーム理解につながるとし、この本でその一歩が達成されることを期待している。 第一章東山靖氏による「イスラームの聖者論と聖者信仰」では宗教における公式的な教義・実践を大伝統、公式には認められないが実際には民衆のなかで行われている実践を小伝統と呼ぶことについての是非についてイスラーム学の立場から検証している。著者はイスラームのなかの知の配置について予備知識として解説した上でイスラームにおける聖者について論じている。 つまり、イスラームにおいて聖者に相当するワリーは「信仰心と神への畏れをもち、つねに神を想起する人」と説明され、その定義には神秘的な要素は特にないのである。また、筆者はここでワリー像の理解のため4つの聖者論の系譜について説明している。まず、スンナ学派のワリー論は、イスラーム聖典クルアーンに根拠をもち、奇跡をおこないうる人という意味である。これはスンナ派における重要な聖者論であり、残された書物からは予言者への信仰の強化に彼らの意図があったと考えるべきであるかもしれないものの、彼らが聖者およびその奇跡の存在を自明視していたことにはもっと目がむけられる必要があるのだ。第二の聖者論であるスーフィズムのワリー論はすでに研究が進んでおり、基本的な視点は先程あげられたスンナ学派と類似しているが聖者のヒエラルキーという独特の観点をもっている。著者はここにおいて聖者が宇宙を支えるという独自の神話的宇宙論・世界観が展開されていたという観点を明らかにしている。 次に取り上げられるシーア派のイマーム論では、血統によってのみ人は聖者たりうるという立場がとられている。4つ目のサイイド・シャリーフ論も基本的には同じ立場だが、奇跡を起こしうる存在のイマームに比べ、サイイド・シャリーフはより身近で現代まで系譜的な存在であり続けている。この章の最後で著者は聖者の存在およびその奇跡はイスラームの大伝統に属し、それに関連して聖者の多くはイスラーム学的基礎をもつ存在あるとし、聖者信仰をめぐる概念にはイスラーム学で保証されてるものと保証されてないものがあるとまとめた上で、理論の中にいくつものジャンルがあること、聖者信仰がいつも理論から乖離しているわけではないこと、これらのあいだに見られるグラデーションをきめ細やかに検証することが必要であると訴えている。 小牧幸代氏による第二章「預言者ムハンマドの遺品信仰」では、南アジアの事例に基づいてイスラームの聖遺物信仰について迫ろうとしている。ここにおける聖遺物を著者は、「古今東西のムスリム社会で信仰の対象となってきた、可視的で具体的なもの」と定義づけている。例としてカシュミールのハズラトバル廟に安置された「預言者の髪の毛」や北インドの「サソリの聖者」の廟に安置された預言者の足跡のついた石板があげられているが、以上のような事例から南アジアにおいて身分を問わずどれほど豊かな信仰世界が形成されていたかが部分的に明らかになったのだ。 しかし、聖遺物はこういった大規模なものだけではなく聖遺物をかたどった護符・御守も流通しており、聖遺物は保管場所への巡礼や参拝だけでなく、こういった護符・御守の購入を通じて日常においても信仰されていると述べている。著者は章のおわりに聖遺物信仰は死にかけた信仰などではなく、むしろ現代に生きる力に満ちた信仰だという立場を明らかにしている。 第三章は大稔哲也氏の「ムスリム社会の参詣と聖者生誕祭」である。著者はこの章においてエジプトを事例とし、ムスリムたちの参詣や聖者生誕祭(マウリド)について過去から現代にかけての無数の地点をつねにその地点を明確化しつつう往還し、今日みられるさまざまな慣行の背景を描こうとしている。まず、筆者はズィヤーラを親族や知己、聖者の墓や生ける聖者を訪問する行為であると説明し、メッカ巡礼のような巡礼行為に近いとしつつも常に批判にさらされてきたとしている。 ズィヤーラは近代にはいりさまざまな要因で衰退したが、マウリドは14~15世紀頃史科に現れて以来現代のエジプト社会でも根強く続いていると言えると著者は述べている。 第四章では編者の赤掘氏によって「聖者祟敬の祭り、精霊信仰の集い」について書かれている。 著者は「マラブーティスム」という言葉において注目すべきなのはそういった言葉が容易にヨーロッパで生み出されるほどに19世紀のヨーロッパ人からみたイスラームの民衆的側面は際立っていたことであると述べつつ、モロッコにおけるイスラーム受容について取り扱っている。モロッコでは国王自身が聖者であることに注目して、さまざまな研究がなされてきた。しかし、近代化したモロッコやエジプトに住む人々は精霊信仰を受け入れるのは困難になってきており、聖者祟敬もかつてほどの現実味を失いつつある。 第五章中山紀子氏による「邪視と村の精神世界」では多用な村の精神世界について取り上げられている。ここでは実際にトルコに存在している邪視信仰に注目しており、著者は実際にそういった邪視信仰のある日常生活に触れている。イスラーム色の強い政党がトルコの最大与党となり、政治的状況が大きく変わろうとしている21世紀現在のトルコ社会で、精神世界がそういった現実とどうかかわり、どう再生されるか注目していることが重要であるのだ。 第六章は阿部克彦による「民衆のなかの聖なるイメージ」である。ここではイスラーム信仰における偶像崇拝禁止について取り扱っている。ターリバーンがアフガニスタンのバーミヤン遺跡の大仏を爆破したことが偶像崇拝が禁止されているためであると報道されたように偶像崇拝禁止は多くの人々がイスラーム教に対して抱くイメージの一つだが、シーア派ではムハンマドのいとこであるアリーの肖像がひっそりとさまざまなところで掲げられている。著者はこうした例からイスラーム世界の民衆は偶像崇拝禁止という制約のなかでも信仰の拠り所となるシンボルを要望したとしているが、それでもムスリム共通の認識としてあるのは誰にも等しく「神は見えない」ことであると述べている。 かなり端折り気味だが、以上のような民衆におけるイスラームについて見ていくことで私自身のイスラーム教に対する認識が大きく変化したように感じる。特に第六章のイスラームの民衆は偶像崇拝禁止の教義があるにもかかわらずやはり信仰の拠り所となるシンボルを要望していたという点は私自身がバーミヤン遺跡爆破の報道や学生時代の知識からイスラーム教は偶像崇拝を禁止しているというイメージを強く持っていただけに驚きであった。 と、ここまでまとめて私自身の考えを書こうとした所でウンコを少量もらしてしまったので今日はここまでとする。 果たしてこんな大学レポートみたいな内容で私が最強になれるかは甚だ疑問であるが今はケツを拭くことに専念したい。

参考文献:
赤堀雅幸(2008) 民衆のイスラーム スーフィー・聖者・精霊の世界 山川出版社


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