競技オナニーに関する意見文

    


今回は真面目な内容で申し訳ないが、時事に関する話題である。先日、2020年開催が予定されている東京オリンピックの競技種目に競技オナニーが追加されたことは記憶に新しいと思う。 競技オナニーが1997年にサンフランシコのローカルな企画として行われて以来ここまでポピュラーな競技となったことには驚きを隠せないが、未だに批判の声をあげる者も多くいる。 この記事では私なりに論点を咀嚼し代替案検討の雛形作成の助けとなることを目標としたい。

今一番の論点となっているのは、間違いなく競技形式に関してだろう。数多くの候補の中でオリンピック委員会側で最終的に採択されたのは、チームリレー方式であった。 競技オナニーといえば継続時間、回数、飛距離といった項目の総合点で優劣を争う個人種目と考えていた多くのマスタベータからしたら考えられない話である。 また、チームリレー方式の点数計算方法が受け取り側の口内にどれだけ貯めることができたかに集約されていることも批判の対象となった。 この点数計算方法では、発射側より受け取り側の身体能力に競技結果が大きく左右されるのは言うまでもないことであり、一度死亡事故が起きてしまっているのも無視できない点だろう。 しかしなぜオリンピック委員会はこの競技形式を採択したのだろうか? これを論じるにはまず、フェミニスト団体による圧迫の存在を認めなければならない。 競技オナニーの競技者人口の男女比率は2011年を堺に女性が上回ったが、これは一番皆さんにも馴染みのあるマスターベータソン方式のみ集計したものである。 逆に言えばチームリレー方式では口内にどれだけの量を出すかということに結果が集約されるため、 必然的に男性に有利な結果が出やすく男女比率の問題でまだ女性部門が設けられていないチームリレー方式を押し通すことで女性選手参加を阻むねらいがあったことが見て取れる。

私は、男女の機会均等について論じるつもりはないが、今回の件に関して言えばフェミニスト団体側の行動には疑問を感じざるをえなかった。 このままチームリレー方式の変更がなければ、フェミニスト団体側がスポーツと思想団体の癒着やマスタベータ側に存在するフェミニスト(2015年現在マイノリティとしてほぼ認知されていないが)達をないがしろにしたとして批判が避けられなくなる。 このサイトを見ている皆さんはどのように考えているだろうか?多くの意見をいただければ幸いである。


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